「社会学の発想」のために2

上の記事にいただいたコメントとそのRes.です。
◇Kさん◇海外に在住していた時に、「この国の人は、そもそもロジックが全く違う。」と感じたことが多々ありました。北京モーターショーのメーカー広報氏も大まじめに広報しているのでしょう。「その論理は国際社会では通用しない。」ということをやがて知るのでしょうか? 南アフリカの、人命救助にかかわる薬の場合には、この結論でなければ、他にどんな解決策がベターであったのかを逆に知りたいです。
◆私◆北京の広報氏が「大まじめ」だったように、アメリカの製薬会社も「大まじめ」に訴えたことでしょう。おっしゃるとおり、> そもそもロジックが全く違う わけです。 いえ、厳密に言うなら、全く同じロジック(この場合は知的所有権の保護という論理)が当てはまる場合でも、それが有効か無効かは、ケースバイケースである、ということですよね。
車の海賊版は悪くて、薬の海賊版はよい、
上の事例に関する限り、それが私たちの「あたりまえ」の感覚でしょう。でも、その態度が論理の一貫性を欠いていることには気づいておくべきです。
彼らが、> その論理は国際社会では通用しない。」ということをやがて知る のと、同じように、 我々の側もまた、自分達の論理が必ずしも通用しないことを知ることになる、というわけですね。
中国メーカーが、自社製品の「ちがい」について、デザインやコンセプト云々ではなく、「より安くより簡便なもので」あって、つまりは大衆の利益に資するものであることを強調している点にも、要注意です。およそ舶来品など到底買えないような奥地の貧乏人が、その海賊版を入手することによって、どれだけ幸福になれるか、たとえば(極端な例ですが)、その車が救急車や消防車となり、それで「人命」がいくつも救われる可能性だってあります。
別に中国の海賊版を支持しているわけではありません。車と薬とは別個の問題ではなく、地続きの話だと言いたいだけです。
◇◇◇よ〜くわかりました!これが、別の国で実際に生活、または旅行していると、日本で通用する「あたりまえ」が「まったく当たり前でない現実」にどんどん出くわすわけです。
◆◆◆『日本人の知らない日本語』のおもしろさは、まさにそれですね。
◇◇◇日本で生活しているとある一定水準以上のレベルでサービスを提供されることに慣れて、あまりそういう意味でのコミュニケーション能力は鍛えられないからね。(ホテルのレストランで「コーラ」をたのんでちっとももってこなくて、ようやくもってきたのが、「スプライト」。「違う」というと、「似たようなものだから、もう栓をぬいちゃったからこれを飲め。」みたいな場面で、どうするか?なんていう想定は日本ではしないものね。)‘あたりまえ’を疑うと同時に、こちらにとっては‘あたりまえ’が通用しない論理(といえるかどうかもあやしい)を身につけた人が大勢いる環境をどう生き抜くか・・・。
◆◆◆卑近なところでは、学生達には私の‘あたりまえ’は通用しないと痛感することもしばしばです。
【参考】自らの‘あたりまえ’を再検討するために。
テルマエ・ロマエ I (BEAM COMIX)
日本人の知らない日本語
テルマエ・ロマエ I (BEAM COMIX)
日本人の知らない日本語
(風呂漫画を貸して下さったS先生に感謝します。)
(コメント下さったK様に感謝します。)