反近代/「冷泉家 王朝の和歌守展」記念イベント「和歌をうたう」

今週の講義、社会学特殊講義4(歴史社会学)、教育社会学ともに、キイワードのひとつが「近代的‘個人’」だった。
以下、参考エピソードのMemo。
今日、京都文化博物館別館ホールでの「冷泉家 王朝の和歌守展」記念イベント「和歌をうたう(披講)」参加の機会を得た。和歌の披講を生で聴くことは、(国文学の学生だった頃「和歌文学会」に行ったりしていた私としては)年来の憧れだったのだが、本日いざ実際に体験してみて(正直、私には清元か常盤津のほうが余程ぴんとくる、と実感orz つくづく自分がしもじもの輩であることを再認識した次第だが、しかし)、むしろ面白かったのが披講の前の冷泉貴実子氏の解説だった。カタログ所収の同内容の解説からの抜粋を交えつつ紹介しておく。

現代短歌は隆盛だ。(略)芸術の一分野、文学に位置づけられるもので、自己を表現し、他人と異なる個性を詠い上げる。少しでも人とは異なる表現を捜し、必ずしも五七五七七にならなくても、自分らしさが表れているものを良しとする。(略)とにかく第一義は自己表現だ。これらは皆、明治の文明開化とともに、西欧から入って来た芸術の考え方の上に立脚する。では、明治までの短歌はどんなものだったのだろうか。

奈良時代、王朝人の教養は漢詩だった。平安時代になり、宮中でも和歌が採用されるようになる。もともと漢語で出された題に従って漢詩をつくり、その翻訳として和歌を詠んだが、そのうち、漢詩部分を略し、お題に直接和歌を詠むようになった。題となる漢語には伝統を踏まえた型が存在する。たとえば「梅が香」「籬の菊」など。

初めに語句ありきで、現実がどうであるかは、問題ではなかった。

つまり、実際に梅の枝に鶯がとまっていなくても、梅にはやはり鶯がふさわしいし、鹿の声なんて聞いたことは無くても、紅葉ときたらやはり鹿、でなくては、というわけだ。たとえ「月並み」「陳腐」であったとしても、

これこそが日本の美意識の元を形造ったものだ。

下記「等伯」の話にも通じるテーマ。同工異曲ならぬ、異工同曲の文化。ここで、冒頭の「自己表現」が再び問題となる。

歌会は公の場である。そこにあからさまな私情を表現するのは最も下品なこととされた。そこに洗練されたことばの美と、教養の蓄積された文芸が展開する。その型の美が、能に絵画に工芸に茶道に影響を与え、「和」なるものが形成されていった。

すなわち、「自分は他人とは違う」「私はあなたとは違う」ということが、近代的な表現の原点とするならば、和歌とは、「私もあなたも同じ」という共有の財産=「型」における美なのだという。それが「和」の心なのだと。

この解説自体が、ある意味、非常に「近代的」な反近代宣言と読むこともできるだろう。