備忘3への追記

柳橋水車」の図が、なぜイメージとして深く刻まれたのか。
ヒントになる解釈として、MIHO MUSEUMの解説を紹介しておく。柳橋水車図の元風景を宇治橋だとするなら、平等院との連想から浄土思想が暗喩されている可能性があるというのだ。

一つの仮説に過ぎませんが、柳橋水車図の構図に表された橋は、金色に輝く浄土へと誘う渡彼岸の橋、彼岸と此岸を結ぶ橋であり、月は夜を照らす仏光の、水車は仏教的輪廻の象徴であると考えてもあながち飛躍的過ぎるとはいえないでしょう。
(「Shangri-La」vol.17「ニューヨーク・バーク・コレクション」解説から)
http://www.miho.or.jp/japanese/collect/collect.htm

大変興味深い解釈だ。
さらに言ってしまえば、必ずしも仏教思想によらずとも、橋の象徴性はもっと多様な解釈もゆるすに違いない。文化人類学的にも、民俗学的にも、また心理学的にも、橋を語ることは出来るだろう。
たとえば、陸地と水の流れとを、不動/流動、理性/感情、現実/夢幻、秩序/無秩序、といった対比関係に結びつけることは、それほど無理なことではないだろう。すると、そこにかけられた橋とは、此岸彼岸を結ぶと同時に、地と水とをむすぶ空間ととらえることも出来る。橋は地から足を離して立つ場であるけれど、水の中でもない。その中空に人は橋を架ける。その橋のゆるぎなさに、岸辺の柳は招くがごとく枝をゆらしかける。下弦の月は深夜であることを示す。鼓動のように水車はリズムを刻む。いずれも深層に働きかける道具だてだ。
私たちはこの図に、深い象意を、私たち自身の中の「イメージ」を読み取っているのだろう。
出町柳の出町橋。