京都の学生のすがた

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009111900171&genre=K1&area=K00
20、21の両日、「京都の教育と学生服のあゆみ展」が京都文化博物館にて開かれた。主催は今年創業120周年を迎える京都の老舗学生服専門店「村田堂」。
無料で頂戴したパンフレット表紙。
中央男女学生の左側は制帽にマントの旧制第三高等学校生(京都大学の前身のひとつ)、右側は日本で初めてセーラー服を採用した平安女学院の制服。会場ではこれらの複製のほか、旧制高等学校32校の帽章と襟章のコレクション、戦時期のカーキ色の制帽や陶器製ボタンなどの貴重な史資料、はたまた1970年代後半〜のヤンキー風改造学生服、そして現代の市内各校の制服など、計150点が展示されていた。(撮影禁止だったので画像はパンフのみ。)
個人的には京都府立第一高等女学校(日本初の女学校である女紅場を前身とする。現在の鴨沂高等学校)の、明治期のバッスルスタイルのドレスの制服姿が印象に残った。バッスルと言えば鹿鳴館鹿鳴館以降、日本女性の洋装化が進んだと錯覚している人もあるかもしれないが、さにあらず。その後女子学生の洋装は一度は禁止されている。京都においても、女性の洋装は依然としてもの珍しい風俗だった。女子の通学服が完全に洋装化するのは昭和初期のことだから(府一で紺色のスーツが洋装制服として導入されたのが昭和5年)、やはり大正時代の平安女学院のミッション・ガール達のセーラー服がいかに眩しい存在だったか、想像に余りある。
ちなみに、京都博物館別館は旧日銀京都支店(重要文化財)。展示会場はその営業室。
その後、徒歩帰宅。旧日銀(明治39年)といい、近接する旧京都中央電話局(現在の新風館昭和6年)といい、さらに北上すれば府庁(明治33年)、平安女学院(明治館は明治28年)、聖アグネス教会(明治31年)、そして同志社(有終館は明治20年)と、京都の町並みに溶け込む近代建築の多さを再認識する。この街で、日本初の女学校が設立され、日本発のセーラー女学生が登場したことを、改めて実感した午後だった。