マニュアル世代

「範囲はどこからどこまでですか?」
「どこを覚えてきたらいいですか?」
試験前に学生にされて困る質問。私の課題は原則レポート形式、試験の場合も小論文形式だから、主題は設定できても、範囲を限定できるような類のものではない。まして「覚え」るべきことなど何も無い。テキストも参考書も辞書もノートも、持ち込みは全て可、なのだから。

ところが、ごくオーソドックスな提出物のはずのこのレポートが、書けない大学生が増えている。かなり細かに指導を入れても困難な学生にはどうにも困難らしい。次善の策としてノート提出を平常点として加味するようにしたら、これは下記のとおり出席重視にもつながることもあり、特に真面目な女子に好評だった。
ところがところが、そのノートをとるのすらも苦手な学生がいる。人の話を聞きながらmemoをとることが難しい。板書もきれぎれに写すのがせいいっぱい。脈絡がつかめない。
どうするか。
つい先だって某大学講師控室で聞いた話。毎回の講義で、ところどころ語句を抜いたレジュメを配布し、その穴埋めをしながら授業を進行している由。試験もその範囲で出すという話だった。

トリセツ本ブームが来ているらしい。
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/090420/bks0904200838002-n1.htm

一対一対応の明快な解法に、私たちは慣らされすぎている。与えられた問いに回答する力、より速くより多く正答する力は確かに重要だろう。しかし現実の社会ははるかに複雑だ。その複雑さに直面した時しばしば「めんどくさい」とたやすく切って捨てる若者も増えているという。例えば男女交際や結婚すらも「めんどくさい」といった具合に。
大学生には問いに答える以上に、自ら問題を見出す力、問いをたてる力を養って欲しい。そしてその問いの答を性急に求めるよりむしろ、問いそのものをより深く掘り下げて行けるだけの持久力を身につけて欲しい。