卒業、入学の頃

別れ、そして出会い・・・、
さまざまな人生ドラマがくりひろげられるシーズンだが、
「さて、何着よう?」というのが、おそらく誰もが一様に、おそらく一度は、経験する悩み(人によっては楽しみ)ではないだろうか。

京都に来て驚いたのは、各セレモニーでの母親の和服率の高さだ。ちなみに数年前の市内の例で(思わず数えてしまったが)、5人にひとり以上が和服だった。流石です。

しかし、その他大勢の―とりわけ私のような無難に走りたい―洋装派が、大いに利用もしくは参考にするに違いないのが、デパートやショップのフェアや宣伝だ。その手の広告は、しかるべきシーズンともなれば、新聞チラシに、街頭に、TVCMに、見たくなくても目に入るようになってくる。いや、和装派のお母さまも、さすがに子どもまで和装させる例は見たことがないから(そういえば、なぜだろう)、子どもの服についてはおそらく広告を参考にしたりもしていることだろう。

今の大学はファッション系なので、学生達の日頃のいでたちは大変ユニークである。しかし彼らもセレモニーのときには、特に強制されるわけでもないのに、極めてオ−ソドックス、皆、常識的ドレスコードにのっとった姿だったことは、逆に私の印象に強くやきついている。

強制力はないのに、なぜか同じようなスタイルに大多数が落ち着く。たとえ個人的に全く似合っていなかったとしてとも、そのほうが心地よかったりする不思議。特に学校行事や、節目の式典など、集団行動の際にそれはより顕著に表われる。