読書と品格

昨日は読書形態についてふれたが、ふと先週3月3日朝日新聞朝刊掲載の竹内洋「私の視点」「不安と孤独にひとり堪えよ」を思い出した。先般の大臣酔いどれ辞任劇をうけ、激務にさらされている者こそ「ひとり古典にむきあったり、音楽を聴いたり」する沈思黙考の時間空間を持つべし(酒に逃げるなど論外)、と説くものだった。本を深読するような孤独を確保することこそが人としての品格を養う。大衆は指導者に庶民感情の理解をもとめはしても、指導者に並みの人であってほしいわけではない。むしろ「ディグニティー(威厳)となにがしかのカリスマ性」を期待している、と言う。
おそらくこの認識こそが、今のリーダーに最も欠けているものだろう。確かに、漫画好きを公言したり、国民の視線を強調したりされても、何かあざとさを覚えるばかりだ。まあ、認識以前に威厳やカリスマそのものに欠けているわけだが。
地球の裏まで秒速でメディア拡張できたところで、天文学的分量の情報を収集したところで、それが所詮軽薄短小な断片の蓄積であるかぎりは、人としての品格/ディグニティーは形成されない。孤独こそが人を養う。そんな、余りにも古典的な、スタンダードな指摘が、今とても新鮮に感じられる。