愛書

今日の毎日新聞に「書籍デジタル化」の記事あり。「黒船」=デジタル化に対する危機感は深刻らしい。
http://mainichi.jp/life/electronics/news/20090309ddm012040040000c.html

同じ面にあった「ディスプレーと紙」というコラム。PC画面より紙のほうが校正をしやすい。実験によると誤字脱字指摘の差は16%になるとのこと。これはディスプレイでの作業に対し紙のほうが読むのに時間がかかることに原因があるという。つまり、前者では「速く」「浅い」読みで、読み飛ばし傾向が強い。しかし、これが手のひらサイズならばその「差はなくなる」のだという。

数年来「文芸と社会」という講義を担当してきたが、「ケータイ小説」を俎上にあげたのは、実は、昨年が初めてだった。いずれ取り組むべきとわかっていながら、力不足で先送りしてきたところ、受講生の声におされて漸くとりあげたのだ。
それほど「ケータイ小説」の読者は増えてきている。まさに「手のひらサイズ」の読書であり、携帯電話を完全に身体化している彼らの日常からすれば、ごく自然なメディア行動だと言える。
しかし、その大学生の中にもアンチは存在している。断固たる「紙」派が依然存続していることには頼もしさも感じる。彼らが圧倒的少数であることを嘆く気は、私には全くない。そもそも本来の文芸において読書派が大多数だったことなど、おそらくいまだかつてなかったろうから。
モノとしての書籍が鬱蒼と蓄積されないことも、デジタル化のメリットだ。しかし「紙」派のひとりはこう断言する。
「装丁を愛でる。紙の手触りが嬉しい。そうして本が増え、書棚を埋めていくのを眺めるだけで、大きな充足感がある」
完璧なるフェティシズムである。それはそれで又よいと思う。(我が家ではもうこれ以上本が増えたら困るが。)

出版社はデジタルには真似出来ない方向を目ざすべきであろう。