みごうしゃ あるいは 女学問

昨夜芝居帰りに頭の中を廻っていたことば、「みごうしゃ」。
見巧者、と書く。巧者とは、たくみなる者、で、見巧者はすなわち、見ることの巧みなる者、の意。専ら、芝居の通人などに用いる褒めことばだ。
私がこの言葉を初めて知ったのは、大学時代の『源氏物語』の講義だった。もう四半世紀以上昔の記憶なので、以下、私自身の脚色が相当入るかもしれない。
YI先生はエレガントな女性で、先生の御夫君はすでに一家を成した同業者だった。彼女が、確か最初の授業で「みごうしゃ」という言葉で語ったのは、演劇論ではなく、御自身の研究のありかたについてだった。
自分は「おんなこども」である、と、まず先生は自認を前提に始めた。その上で、では「おんなこども」にどのような学問が可能か、という話だった。
大変若々しくお美しかったが、当時すでに若手とは見えない世代でいらっしゃった先生は、おそらく周囲から「おんなこどもに何が出来る」「所詮は女学問だ」と臆面もなく言われるような時代の学会を生きて来られたのだろう。正直、当時の私には全くぴんとこない話だった。
学会は「男の世界」である、と彼女は言った。いわば歌舞伎だ、と。どんなに望んでも努力しても芸があっても、女は板には乗れない。歌舞伎が男だけで素晴らしい芸術を築きあげているように、そこでは確かに立派な仕事が蓄積されてきている。では、「おんなこども」に意味は無いのか。とんでもない(と、先生はここで力をこめた)。
そもそも芝居は「おんなこども」のものなのだ。芝居を生かすも殺すも客次第。客とは「おんなこども」たちだ。芝居上手は巧者と讃えられるが、芸をちゃんと見ぬき、その真髄を評価できる客は見巧者と呼ばれ一目おかれる。客の入り、大向こうの掛け声、喝采、そして見巧者とよばれる目利きの評価こそ、芝居そのものを牽引する力も、場合によっては役者を板から引きずりおろしたり、脚本を書きかえさせたりする力もある。とりわけ、おそれられるのはこの見巧者の存在である。見巧者の感性とは、芝居を仕事とする男の側の感性ではなく、芝居を楽しむ「おんなこども」の側の感性だ。
また、芝居見物には晴れ着を着、弁当を持参した(元祖「幕の内弁当」)ものだった。特に通人たちは演目や役者にあわせ、柄や色に凝る、所縁の品々をとり揃えるなど、見物スタイルに「知」と「贅」をこらした。わかる者にはわかる、文化的愉しみ。芝居空間における豪奢な文化を創出したのは他ならぬ見巧者たちの遊び感覚だ。したがって、芝居を成り立たせている、その現象の主役はむしろ「おんな」の側なのだ、と。
(この最後の例は、身内にそういう人物のいた私には非常にふに落ちた。大叔母は十一代目團十郎が贔屓で、彼が舞台で着る色目にあわせて着物を新調したり、演目によって帯を選ぶなどを日常としていた。歌舞伎座が‘御見合’の場だった時代の話である。)
私はそういう研究者になりたい、と先生は語られた。源氏物語は今でこそ、世界的ブンガクの、古典最高峰の、と讃えられているが、そもそも「おんなこども」が夢中になって読み継ぐことで千年続いてきた作品だ。私はあくまでも「おんなこども」として、プロの男には出来ないアプローチをしていきたい、と。
当時の私はまだ青すぎて、男/女というシンプルな分け方に好感がもてなかったし、そもそも学問スタイルの話には余り関心がなかった。今なら、研究における体力勝負の計量統計、文献主義に対する、先生なりの強烈なアンチだったのだろうとわかる気がする。しかし当時の私にはそれより何より、「豪奢」な「見巧者」という言葉だけが、胸深く落ちた。みごうしゃ、と、あえて平仮名で上記したのはそのためだ。
確かに、文学研究、特に源氏物語研究ならばYI先生型アプローチの可能性は大きいだろう。しかし、これが政治学歴史学となると、同じアプローチではそもそも歯もたたない気がする。ハンナ・アーレントの枠組みがやはりしっくり来るか。さて、社会学については如何か。
昨夜、京阪にゆられつつ漠然とそんなことを考えていた。