冷泉家展、みたび

芸術新潮 2009年 11月号 [雑誌]

芸術新潮 2009年 11月号 [雑誌]

冷泉家 王朝の和歌守展>三度目の訪問。今回は藤本孝一龍谷大学客員教授の講演「奇跡の歌書」を聞く。
面白い。しかし文学色豊かな記念講演シリーズの中では、おそらく異色の内容と言えるだろう。何しろ、開口一番
「私は和歌には興味が無いんです」
と仰る。
「本のなかみをじっくり読んだこともないんです」
と。相当挑発的な語り始めである。
とはいえ、1980年の御文庫公開以来30年間、最も長く最も近く、冷泉家蔵書とともにあったのがこの人であることは間違いない。彼の人生のこの30年間が、冷泉家文書とともにあったと言ってもよい。現在地球上で最も「冷泉家の蔵のなかのモノ」に詳しい人、と言っても過言ではないだろう。
Wikipediaによれば、<冷泉家の「御文庫」は屋敷内でも神聖な場所とされ、当主と嫡男以外は立ち入ることが許されなかった。そこに保存されてきた古文書・古写本類は、一部研究者にはその存在が知られていたが、長らく非公開とされ、一般にその存在が知られるようになったのは1980年からである。同年より平安博物館(現京都文化博物館)によって冷泉家所蔵本の整理・目録作成が始められ、徐々にその全体像が明らかにされてきた。>←この<整理・目録作成>に直接携ってきたのが藤本氏なのだ。
その藤本氏に言わせると、多くの文学研究者たちは、「本を読みつつ、本を見ていない」のだという。本に記されている記録にばかりに気をとられて、記録装置の装置部分への関心が欠けている。しかし、ハードあってのソフトなのだ。彼の研究対象は、その装置としての「本」そのものである。
思えば、<冷泉家 王朝の和歌守展>は不思議な美術展だ。並んでいるのは本ばかり。国宝、重文クラスが目白押しだが、そもそもそこに書かれていることが解読できる来場者はどれほどいるだろう。(ちなみに私自身、国文学科出身でかつて変体仮名解読の訓練も受けたことがあるが、それでも展示品の数割も解読できない。)来場者は書籍の閲覧に来ているのではない。むしろモノとしての古文書を、その実体として目の当たりにする感覚を生で体験し、「鑑賞」するために来ているのだ。
実際、重要文化財「三代集蒔絵小函」を目にした私の第一印象は、(柳橋水車図ではないが)「あ、これ欲しい」というものだった。
http://d.hatena.ne.jp/yasmins/20100418/p1
豪華な漆の小函が、実に「カワイイ」のだ。「三代集」3冊が、それぞれ3段の引き出しに入っている。一冊のサイズは15×11センチで、ちょうどCDと同じくらいの大きさだ。金と黒の細かい市松模様もいい。「なかみ」への造詣はともかく、手元にこの小函があったらきっと何度も引き出しから冊子を出したり入れたりしていることだろう。友だちにも見せるだろう。これは間違いなく、女子が喜んで手元に置きたがる種類の「モノ」なのだ。
ところが、文学を「モノ」として扱うことに馴染めない人々は少なくない。ましてや、ほとんど神格化されている冷泉家の蔵書に対し、そしてその神秘を賞揚しようとする研究者が多い中、sachlichな扱いに徹する藤本氏のアプローチは、したがって、見事と言うほかはない。そこには学者として客観に徹しようとする揺ぎ無い信念がある。かくしてそのsachlichkeitから、従来の文学研究からは得られようもなかった新しい発見が得られるのだ。
たとえば、冷泉家二条家との関係について。本の奥書、本の形、用紙、形式、表紙のタイトルのスタイルなどから、写本の伝来を推測することが可能になる。そうして分類された「本」のグループは、そのまま著者や所有者の社会集団を反映する。
つまり、「本の姿は、歌壇史」そのものなのだ。

色々と示唆の多い講演だったが、とりあえず備忘まで。