テイストの問題?―国母選手への風あたり(その5)

オリンピックも終わったが、リスペクタビリティと関連して国母問題を、もう一度、点検しておく。国母騒動は、今の日本におけるリスペクタブルなコード(ドレスコードや言動を含めた社会的規範)を浮き彫りにしたが、国外からの面白い指摘もあった。

「日本では汎アフリカ主義を表明すると批判されるのか」。フランス人のテレビ記者がこう聞いてきた。最初は何の話かよく分からなかったが、国母和宏選手の服装問題だった。日本では腰パンが盛んに批判されているが、人種問題に敏感なフランスでは、アフリカ風のあの独特のヘアスタイルの方が目につくようだ。この記者も、国母選手の写真から、批判されているのはラスタ・スタイルと呼ばれるこの髪型だと勘違いしたらしい。
(2月24日7時56分配信 産経新聞「【パリの屋根の下で】山口昌子 国母選手は汎アフリカ主義?」より抜粋)

実際、腰パンより髪型が気になった日本人も少なくはなかったはずだが(個人のWeblog などでは散見された)、公式な言説としては表明しにくい部分があった。長髪の選手も少なく無い中、厳密な基準が設定しにくいためだからだろう。これに対しスーツにおける「シャツ出し・腰パン」は明解な差として誰もが認定できる。
しかしスーツという洋装そのものが、日本文化にとっては固有のものではなく、近代リスペクタビリティの表象であることは、ここで留意しておいてよい。

ラスタは1930年代にジャマイカの労働者、農民階級を中心に発生した宗教的思想運動ラスタファリからきている。
キリスト教の聖書を聖典とし、アフリカ回帰や汎アフリカ主義を標榜したこの運動は、レゲエ・ミュージックを通して世界中に広まった。ファッションとしてのラスタ・スタイルの元祖は、ジャマイカの伝説的レゲエ・ミュージシャン、ボブ・マーリーだ。房(ロック)が垂れているように見えるのでドレッドロックスとも呼ばれている。
フランスなどでこのヘアスタイルをしているのは、元プロテニス選手でアフリカ系のヤニック・ノアやサッカーのロイック・レミー選手らのスターであり、大都市郊外に住む貧困層のアフリカ系住民には少ない。スターのまねをしたくてもできないのは、おカネがかかるヘアスタイルだからだ。(略)フランスで肌の色も毛髪の質も異なる欧州系のフランス人がドレッドロックスにしたら、単に「格好良さ」を意識しただけではなく、アフリカ系住民に対する「連帯の表明」といった何らかの意思表示と受け取られるのが、ごく一般的だろう。(同上)

おそらく国母選手にあったのは「連帯の表明」の意思よりむしろ「エスニックでしぶい」といった感性、ファッション・テイストにすぎなかっただろう。だからといってその無思想を叱責するのも、おかど違いというものだ(実際、国母の「謝罪」を受けて、謝ったりせずスタイルを貫き通したほうが本当にカッコよかったのに、式の激励?コメントも少なからず見うけられたわけだが)。
イデオロギーと呼ばれるものがしばしば「感性」のレベルからその運動の実体を力強く立ち上げてきたことは歴史が証明している。国母騒動は、単なる「個人のテイスト」と社会の問題と片づけてしまうには聊か重い主題をはらんでいる。