送り火

今日、五山の送り火
起源は諸説あるが、慶長の頃にはすでに定着していたらしい。それほど長い歴史を持つ京都の代表的な行事だが、公的に禁じられていた時期があった。
明治5年から全国多数の府県で次々に公布された「違式詿違(いしきかいい)条例」により、近代国家にふさわしくない風俗習慣が次々と取り締りの対象となった。たとえば、混浴、肌の露出、女相撲、立小便等々。これと平行して、盆の行事も前近代的なものとして禁止された。
立小便と送り火が同じ扱いをうけたことは、後者を愛する者にとっては心外の窮みだろうが、respectabilityの規範から考えると非常にわかりやすい。たとえば、お盆の代表的行事である盆踊りなど、近代的規範からすれば、余りに無秩序かつ享楽的にして若者男女の風紀を乱すけしからぬものだった。盆踊りについては、稲垣恭子「若者文化における秩序と反秩序―盆踊りの禁止と復興をめぐって」『不良・ヒーロー・左傾―教育と逸脱の社会学』を参照せよ。前近代的行事の排斥は、日本における国民「教化」、生活「改良」の一貫だった。五山の送り火祇園祭も又、文明の進歩を妨げる「迷信」とみなされることは避け難かったのだ。伝統はあらたに健全なる国民行事として再編された。それらのイベントがrespectableであることと、国民的であることとがいかに緊密な関係にあったかは、昨日の一冊『八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)』、および同筆者による「戦後世論の古層―お盆ラジオと玉音神話」『戦後世論のメディア社会学 (KASHIWA学術ライブラリー)』を参照されたい。
今夜、午後8時から次々に送り火が灯される。その時間帯には市内のビルも照明を落とす。確かに観光イベントとして近代化された側面は大きいにせよ、実際に今夕この盆地の中でその時空を体験してみると、むしろ実感されるのは、ここ京都では近代もまたやはり一時代でしかなかった、ということだ。
不良・ヒーロー・左傾―教育と逸脱の社会学戦後世論のメディア社会学 (KASHIWA学術ライブラリー)