ルビという文化

今日、彼岸明け。ふと、漱石の『彼岸過迄』を読みたくなるが、仕事山積状態で禁欲。
そういえば、土曜夜、旧友と歓談中に夏目漱石賛になった。昨今の一部大学生には、注釈無しに読み進むことも困難な「古典」となってしまったが、我々世代にとっては青春の愛読書。特に短編は凄い、何より文章がいい、しかも新しい、というあたりで三人の意見が一致した。学生にも原文のまま味わってほしい。とりわけ、漱石の文にあるような「ルビ」の妙が、現在の日本ではすっかり失われてしまった、という話にもなった。
たとえば、同じ「服装」と書いても、≪なり≫と読ませたり≪つくり≫あるいは≪いでたち≫とを読ませたりする。ルビひとつで文章が俄然変わる。停車場は≪ステーション≫とハイカラ読みだ。一語一語の日本語のふくらみが違う。
ルビという日本語文化の再興のため、紙面「総ルビ」化を断行する新聞社が出現することを切望する。文化や教養云々の社説論説を千万掲載するよりも、その意義ははるかに大きいだろう。

彼岸過迄 (岩波文庫)

彼岸過迄 (岩波文庫)

(やらねばならぬことが多ければ多いほど、ほかの事がしたくなる。今日は小説が読みたくてうずうず。)