学生街の喫茶店

ミッション・スクールの個人研究と並行して、ここ数年、共同研究で「学生文化」のリサーチをしている。
学生文化を特徴づけるひとつの指標に「学生街」がある。必要条件は、
・ 数時間ねばれる喫茶店がある。
・ 本屋および古書店がある。
・ 安い食堂、安い飲み屋がある。
といったところか。東大に本郷あり、京大に百万遍あり、ミュンヘン大学にシュヴァービングあり、これらは私個人が少なくとも2年以上生活したことのある典型的な「学生街」だが、いずれもこれらの条件を満たしていた。さらに時代や地域の特長により、雀荘があったり、あるいは喫茶店名曲喫茶やジャズ喫茶だったり、ライブ系だったり、といったヴァリエーションはもちろん種々存在するだろう。昔なら製本屋、最近ではコピー店も学生御用達店と言えよう。しかし、必要条件に絞り込めば大体上の三点と思われる。書店や安食堂が学生のインフラを支える必須条件であることは言うに及ばないが、ねばれる喫茶店もまた極めて重要だ。議論の場であり、読書や思索の場であり、サークルのたまり場であり、暇つぶしの場であり、まさに大学生が大学生としての基本を支えるための重要空間であるはずだ。しかし、そうした学生街の喫茶店は、学生文化そのものの衰退とともにどんどん減少している。
ガロの「学生街の喫茶店」という歌がヒットしたのは、1972年だったが、この時点ですでに学生街の喫茶店の風景は「過去形」で語られるレトロスペクティヴなものだったのだ。(参考:第5章 音楽と世論/レトロスペクティヴな革命―70年代フォークソング
戦後世論のメディア社会学 (KASHIWA学術ライブラリー)


さて、
上智大学にはコアな学生街は存在しない。交通の便のよい都心にあることが幸い/災いして、上3点が集中して学生を支えるような地域は発達しなかったと考えられる。本を買うなら新宿紀伊國屋か神田に行った。授業が休講になったとき散歩がてらホテルニューオータニのカフェに行ったりしていたのも、いかにもミッション女子大生的生活行動と言えよう。
しかしそんなソフィアンでも必ず知っているのが四谷の「しんみち」だ。安食堂、飲み屋のほかに、1980年前後にはまだ数時間ねばれる喫茶店もあった。今回の出張で、短時間ながらここを通ることができた。夜ともなれば学生コンパも開かれるのだろうが、残念ながら、「学生街の喫茶店」と呼べるような店はすでに見当たらず、すっかりただの飲み屋街に変貌していた。
(学生はどこに行ったのか?)