相撲の品格

節分立春にひき続き、折角なので「和」の話題。


力士のガッツポーズやトレーナー姿が顰蹙を買っているが、ニッポンの国技たる相撲界で「品格」が取沙汰されるようになって久しい。このニッポンの「品格」問題は、世代論だけではなく、もうひとつ、国際化という問題ともリンクしている。


その点についてだが、こんな面白い指摘もある。
堀井憲一郎『落語の国からのぞいてみれば』(講談社現代新書)によれば、そもそも「相撲はスポーツではない」。では何かというと、「見世物」である。「スポーツおよび近代という不思議な煙幕に隠れて、いまでは見えにくくなってる相撲の本来の姿」が、落語には活写されている。「見世物」であるから、根本となるのは「異形の人を見たい」といった、観衆の素朴な欲望、つまり勝敗より何より、見ものかどうか、なのである。従って、外国人が登場することは、「見知らぬ土地には恐ろしい異形魁偉の人物がいそう」なイメージからして、「相撲興行本来の姿」からみて何ら問題ないのだという。


では、なぜ今、「品格」が要求されたりしているのか。
ホリケンさんの語を借りるなら、それは「近代という不思議な煙幕」のせいということになる。G・L・モッセの語で言うならRespectabilityだ。


続きは明日。