常に新しい

昨日鑑賞の機会を得た、表象文化論学会記念企画「京舞」について、印象に残ったこといくつか。

まず、「京舞」の力強さ。舞について全く無知な私などは、日舞、しかも京舞というと何とはなしに「なよなよした」女性的なものという先入観を持ちがちだが、意外に強い。以前「黒髪」を見た時にも同様に感じたのだが、その印象が一層強まった。

次に、井上八千代という舞い手の迫力。精進を重ねている人独特の力、というだけでは、ない。人間国宝だった先代の薫陶か。個を超えて伝承された芸を、さらに生かす個の力、とでも言うべきか。しかしその先代が先々代から、果たしてどの程度「正確」に芸を継承してきたのかは「正直なところわからない」と率直に言っていたことも、非常に面白かった。小柄だった先代の舞の形を、すらりとした当代が引き継ぎ、さらにこれから時間をかけて自らの芸として熟成させていくことだろう。

芸術にも、いや芸術にこそ、時代的、社会的要請は色濃く反映するのではないか。先々代、三世井上八千代が「都をどり」を作った逸話は、近代日本における「伝統の創出」のひとつの典型例ではないかと、個人的に解しているが、お座敷ではなく劇場(しかも大学内の!)で「京舞」を鑑賞できたことで、なんらかの手がかりが得られた気もした。

最後に、上記「京舞」のみずみずしい迫力に比して、期せずして、その額縁となった学会のスタイルの、ある種の「古さ」を痛感。80年代に青春を送った者としては、若干の気恥ずかしさも入り混じる。

古典は常に新しい。前衛はすぐ古くなる。