吉例 節分行事

今日は節分。京都の神社仏閣はさまざまな催しで賑わうが、祇園には「お化け」と呼ばれる行事がある。これは何かに扮装して練り歩く厄除招福の風習で、現在は花街にのみ残っている由。まだ足を運んだことは無いが、きれいどころがうち揃って、普段とは違う姿で繰り出すとあって、なかなか楽しめる行事だという。
常とは異なる扮装で厄を除ける、という発想が面白い。カトリック圏の謝肉祭やハロウィーンなどにも似るか。日常には目に見えない無数のきまりごとがあり、それは姿にあらわれている。それを、祭日にあえて破る。破格の面白さ。しかし、この面白さがわかるためには、まず‘格’そのものがわかっていなければならない。

数日前、若手力士が大麻取締法違反容疑で逮捕された。ヒップホップが好きだという当力士のカジュアル姿の写真に、杉山邦博さん(もとNHKアナウンサー。彼の声を聞くだけで、両国国技館の空気が感じられる)は、怒りをこめてこうコメントしていた。
「力士は常日頃から必ず着物を着て生活しているべきで、トレーナー姿などで外出すべきでない。それが‘品格’というものです。」
プライヴェートでもNGだそうですよ。


そもそも、ジャージ、トレーナーが外出着として認知されるようになったのは何時ごろか。
昨年の造形大でのメディアの授業で、ジャージについてレポートした学生がいた。街頭にジャージ姿がみかけられるようになったのは彼女の中学時代だったという。当初、隣近所ならともかく街まで「体操服」を着て出るなんて、恥ずかしい、だらしない、と、思っていた。しかし、徐々にジャージ姿の若者は増えていく。あるとき、憧れの先輩がジャージを「いい感じ」に着こなしているのを見た。それ以降、自分も全く抵抗を感じなくなった。


ファッションは常に破格に破格を重ねてきた。
マレーネ・ディートリヒがタキシードを着て舞台に立ったとき、それはあくまでも男装だった。1960年代に、イヴ・サンローランが発表したスモーキング、サファリ、パンタロンは、センセーショナルな先端ファッションだった。今日、私はパンツ姿だが、誰ひとりとしてそれを刺激的ともファッショナブルとも思ってはくれない。※
私が子供だった頃、全身黒づくめでおもてを歩けば、葬式帰りとしか思われなかった。80年代前半、コムデギャルソンが斬新な黒づくめファッションで世を驚かせてから、黒づくめは特別な服ではなくなった。今では、ふつうに地味な人と思われるか、古畑任三郎ファンと思われるくらい(思われない)か。


京都は「おきまり」を重視する土地柄。ましてや、花街には厳格な仕来りやドレス・コードがすみずみにまではりめぐらされているのだろうから―たとえば、舞は井上流のみに許されている、とか、舞妓は下唇だけに紅をさす、とか―、それが破られる「異装」は、殊更に刺激的で強烈な行為であるに違いない。
それはもう、魔を払えるほどに。
ルールが厳格であればあるほど、禁断の味は甘露となる。しかし、そもそも格も、規律も、禁忌もない場には、破格はありえない。
造形大には、ジャージはもちろん、金、銀、緑、ピンクの髪の子や、パンクや、ヴィクトリアン・メイドや、スカートの男子もいる。眺める側からすると飽きなくてよろしい。が、それが日常化してしまうと、ふと不思議な気もしてくる。かつて、講義にジーンズで出ようとした女子学生を咎めた大学教授がいた、というエピソードを学生に話しても、彼らにはぴんと来ない。異次元空間の話と思うらしい。彼らに禁断の甘露は味わえるのか。
あるいは、彼らにとって4年間の大学時代がマツリなのだろうか。社会人になったら出来ない格好ものびのびと謳歌できるこの日常こそが、人生におけるハレの時、甘露の時なのかもしれない。
しかし、少なくとも今の日本では、ジャージにキャップ姿でいれば力士がおよそ力士とはわからない程度に、日常におけるコードはほどけ、規律一般が著しく衰退しているのは事実のようだ。
「異装」本来のパワーがすでに失われつつある時代に、「お化け」はどれくらい厄を払うことができるのか。
京都祇園の底力に期待したい。

参考:「リスペクタビリティと教育」『子ども・学校・社会』