中秋月餅

先月の観劇が横浜だったので、中秋に先立ち中華街名店製の月餅を買って帰った。久しぶりに中華街の月餅を食べたことで、四半世紀前に中国で初体験した本場の月餅を思い出していた。
月餅といっても様々ある。パイ状のものもあるし、一見日本の月餅と同じ顔をしたものもある。一見同じ顔だからと、サイズがやや大ぶりな位か、などと高を括っていきなり噛り付いたりしてはいけない。日本人感覚で、おやつに一個、と気軽に食べきれるとは限らないからだ。量もさることながら、フィリングがただものではない。様々なヴァリエーションがあるが、十中八九、ラード、胡麻油など脂肪分がたっぷり入っている。ちょっとしたお茶うけでは済まされない迫力だ。代表的な餡としては、小豆はもちろん、棗、百合根、胡桃、胡麻、白豆、緑豆、栗、蓮の実、松の実、南瓜の実、干葡萄、杏子等々がある。極めつけは椎茸、豚肉、金華ハム入り。これら大陸の月餅に島国の人間が立ち向かうためには、まず恭しく皿に盛り、ケーキに入刀するが如く敬意をもってナイフで切り分ける。すると餡の正体も先に確認できるし、その美しさも鑑賞できる。特に定番は中秋の名月に見立てたアヒルの卵の黄身がまるごと入った月餅だから、これを鑑賞せずに食べる法は無い。ちなみに私は上海のココナツ餡が一番好きだった。もう四半世紀、食べていないことになるか。不思議なもので、頭は鈍くなる一方でも、五官に刻まれた記憶は決して失せない。
日本の月餅は年中店頭に並んでいるが、中国の月餅は秋、中秋節ならではの風物詩だ。秋ともなれば、華麗な箱入りの数々の月餅が店頭に並ぶ。友人知人親戚縁者間での月餅の贈答が活発になり、他家訪問時のおもたせ、ちょっとしたプレゼントなどは勿論月餅となる。当然この頃のおやつの定番も月餅だ。
しかしこの美しい伝統も、現代中国社会にあってはそれだけではすまされない。「贈賄の温床」となっている実態を改善すべく、2006年中国国家質量監督検験検疫総局と国家標準化管理委員会は「月餅国家基準」を策定した。宝飾品、高級酒、その他の「おまけ」をセットにした数百万円相当の「贈答用月餅」が出回っているためだ。
http://sankei.jp.msn.com/world/china/091005/chn0910050746002-n1.htm
そもそも日本の月餅は、新宿中村屋創業者の相馬愛蔵・黒光夫妻が昭和2年に販売したことから広まったとされている。大正末、百貨店の新宿出店で打撃を受けた中村屋の相馬夫妻は打開策模索も兼ね中国視察旅行に出たが、そこで月餅と出会う。しかし中国の月餅は日本人の口には合わなかったため、オリジナルの「和菓子としての月餅」に作り直した。それが今日に続く成功に繫がった。相馬夫妻は進取の気象に富み、中村屋サロンは国際的な芸術家および政治家の交友の場ともなっていた。黒光は、宮城女学校、フェリス英和女学校を経て、明治女学校を卒業した典型的なミッション・ガールである。
ちなみに京都には「月餅屋直正」(つきもちやなおまさ)という和菓子の名店がある。わらび餅が絶品で毎日早い時間に行かないと売り切れている(京都にはわらび餅は午前中に食べるものという常識?がある)。店名は粋人であった初代が謡曲から名づけたというが、その月餅(つきもち)はあっさりとした後味が京都らしい焼き菓子だ。中村屋の月餅(げっぺい)同様、実に恬淡としている。中国菓子との共通点は見出しにくい。
風物詩、ということでは、この時期、京都の和菓子屋には「月見団子」が並ぶ。里芋様の白い団子に黒雲に見立てたこし餡がかかった形も、東京人の私にとっては当初はもの珍しいものだった。
中秋の月の光は等しく地にふりそそぐのだろうが、文化も人の営みも千差万別、といったところか。


一昨日中秋、昨日十六夜、本日立待月。