ナショナル/インターナショナル、あるいは日本の祭の可能性について

国民的まつりごとの祭が終わり一夜明けた。

先週「地蔵盆」という京都ローカルの祭について言及したので、祭とナショナル/インターナショナルという主題で、雑感を備忘のため記しておく。

やはり京都の祭、「祇園祭」について。
地蔵盆」と違い、「祇園祭」は国内外から観光客を集める京都の代表的な祭だ。京都は日本の古都。生まれも育ちも東京の私にとって、京都こそ生粋の日本を伝承しているもう一つの「都」であり、「祇園祭」は純然たる日本文化を代表するもの、と、当然のように考えてきた。
しかし、京都に移り住み実際に「祇園祭」を体験してみて初めて、その祭がイメージどおりの「日本」的なものというよりむしろ非常にエキゾチックで国際色豊かなものであることに驚かされた。同様のことは、五木寛之も『宗教都市・大阪 前衛都市・京都』で指摘している。
「動く美術館」といわれる山鉾は、様々な趣向を凝らした豪勢な装飾で有名だが、その意匠には、日本神話や中国故事のみならず、ギリシア神話旧約聖書などからのエピソードの図などがある。例えば、鯉山を飾るのは、ホメロス叙事詩イーリアス」をもとに、16世紀にフランドル地方で製作されたタペストリーだ。17世紀、ローマ教皇パウロ5世が支倉常長に与えたものの一部を、後に京都の商人が購入したものという。他の一枚は徳川家光を経て加賀前田家に渡り、現在重文に指定されている。武家の蔵の奥にあったら重文に指定されていたであろうタペストリーを、山車にはりつけて万人に見せて回るわけだから、気前よいというか豪勢というか、まことに贅沢な話で、しかも見所はそれだけではないのだから「動く美術館」と称されるのもむべなるかな。同時代に入手可能だった、およそありとあらゆる世界中の「美」や「工夫」を、可能な限り貪欲に採用した京都の町衆の心意気と力のほどが感じられる。かつそれらが矛盾無くひとつ祭に調和しているところが、真の京都であり、本来の「日本」的なありよう、なのかもしれない。

京都に移り住んで驚いたことのもう一つは、キリスト教会の意外な多さだ。御所北にある自宅からほんの小1時間ほどの散歩で、いくつもの教会めぐりが可能なのだ。転居した当時は不思議で仕方なかった。都の語源は宮が此処においでになるからというが、まさに都の、その中心地にキリスト教会がかくも遠慮なく?建っている。軋轢は無かったのだろうか。ニコライ堂のように。いや、無かったはずは無い。しかし、それ以上に「柔軟性」が勝っていたのだ。むしろインターナショナルなものを貪欲にとりこむところにナショナルなものを作り上げる、京都にはまさにそうしたアヴァンギャルドな積極性が感じられる。新しいもの、異なもの、に対する寛容さは、日本文化の特質としてしばしば指摘されてきたことでもあり、節操の無さといえばそのとおりかもしれない。が、京都に15年住んでみて、いつのまにか、何とは無く、そう納得させられている。